マインド・つぶやき 移住のこと

子供の頃から移民?自己肯定感が低い原因の複雑な幼少期

投稿日:2018年6月29日 更新日:

こんにちは、いみんずあーとのKoiです。

以前別記事でも書いてましたが

3.11の東日本大震災後に身内も知り合いも全くいない
岡山へ単身で移住してきたのでまっさらなゼロからスタートでした。

関連記事はこちら▽▽

 

当時は20代も後半に差し掛かってたのですが
移住当時は新しい出会いや楽しいことも多かったけど
人間関係で辛くなることも比ではないくらい多くて大変だった。

 

なぜならその根底に…

私自分自身が
自己肯定感のめちゃくちゃ低い人間だったという事
に気付いていなかったから。


そしてその事にやっと最近になって気付いたきた…!

だから昔は今よりもっと弱くておどおどしてて
自信がなくてだめだめだったのは否定しない。笑

そんな事はないと信じつつも、思い返せば思い返すほど
自分自身の未熟さを痛感している。

それも全ては必要な勉強だったのかなって思える時もある。

けど、人間そんな完璧ではない。
完全に自己受容なんてのはできてない。

思い返してイライラしたり悩んだりもするもんだ…

しかし、移住してから今まで
何か困った事があったとしても
誰かしらが手を差し伸べてくれたり
何より今まで大きな事故も病気もなくこれたのは、
とてつもなくラッキーな事だと思う。

今の自分だから、腰を据えて書ける事もあるんだよ。

 

 

自己肯定感って言葉、ご存知ですか?

私はついここ1〜2年で知りました。
とても大事な事なのに学校や社会では教わってない事。

そして”自己肯定感”や”自己受容”を知る事は
自分を生きる上ですごく重要な要素だと知りました。

今回は私の自己肯定感の低さの原因でもある
ちょっと複雑な幼少期のお話を書きます。

 

 

子供の頃から移民だった?自己肯定感の低い原因の複雑な幼少期

 

思えば自分は物心ついた時から引越しばかりしていた。
もうそれは当たり前のように家が変わる。

人に話すと波乱万丈とか言われるけどどうなのかな?
多分子供ながらに、それが普通くらいに思っていたから…

小さい頃から両親は別居を繰り返し
弟と妹がいるので兄弟3人共母親について行って
父とだけ離れて住んでいた期間が長かった。

当初は父の両親(祖父と祖母)の家に住んだ時期もあり
私はちょっと陰湿な父方の祖母が苦手だった。

子供ながらに傷つくような言葉を、子供の私にかけた事を今でも忘れてないし、その言動はやはり理解ができない。

その後は母と飛び出るように出た記憶があり
(フラッシュバックのような記憶)
親戚の家に転々と居候してた時期があった。

言ってしまえば家がない状態。

そんな中よかった思い出は、親戚のいとこの家に居候していた事。
いとこのお兄ちゃんは皆優しくて好きだった。

男系の家系だので男子の遊びや音楽、バンド、漫画も青年漫画が好きだった。
バンド好きのいとこだったので
ロックやパンクの影響なんかも受けた。

記憶は薄れるけど、この様な転居が幼少期に何度もあった為
自分は現在まで生まれた家から7回ほど引越しをしてます。
転校もして小学校も3つ渡った。

 

子供の頃から我慢が多くて自己受容ができない

そんな子供時代から我慢をするのが当たり前になっていたので
外であった嫌なことなども親には話せなかった。

だから
自己受容=ありのままの自分を許す、受け入れる
という事ができなかった。

どちらかといえば
自分は弱い…こんな弱い自分じゃダメなんだ!って思って
自分を責めるばかりをしていた。

なんとも負のループ

子供ながらに
なんで他の子と違ってお父さんと一緒に住めないんだろうって泣いたり
転校はもう嫌だ!って母を困らせたりもしたと思う。
母は女で兄弟3人を育てる事は並大抵ではなかっただろうけど。

そして父も子供好きだったから子供と一緒に住めない事は寂しかったとは思う。
しかし当時は子供だったので大人の事情はよくわからなかった。

けれど、今思うのは

それは大人の勝手な事情であって
大人の事情で子供を振り回さないでほしい

 

と嫌でも思ってしまう事。

だから自分勝手な”親”というものが
大人になるにつれてどんどん嫌な対象となっていった。

しかしそうやって
ちゃんと思う事が逆に自分の中で腑に落ちて

やっと正直な気持ちを
”自分自身で汲み取る事”ができてきた

今まで何年もその気持ちに蓋をしていた。
周りの期待通りにいい子、いい人でいようと思っていたから苦しかった。

そして小学校中学年の頃
親が再度同居する事になり家族がまたひとつになった。

その時、両親がいるって事がこんなに嬉しい事なんだって子供ながらに有り難さを痛感した。
あの頃はほんまにピュアだった。

今は二人とも高齢のため落ち着いている。
たまに母と電話で話すが私より元気そうな時もある。

それから数十年

私は岡山へ移住したので現在は8つ目の家。

当時はまだ小学校低学年で兄弟共々母についていくことしかできず
父と母がまた別居したらどうしよう‥と
底知れぬ不安な感覚に襲われてた。

そんな過去を振り返ると
今でも胸の奥がぎゅうっとつぶされるような感覚を覚える。

 

大人になった今

人それぞれ成長の過程で考えも変わってくるけど。
今はもうそんな過去を振り切るように

離れてしまって、どこへでも行きたい

と思うことがある。

一人でも、誰かといても寂しい思いをしてきた。

誰かと一緒にいて寂しいなら
それ以上の孤独なんてあるのか?

それなら、人なんてものはどこへ行っても寂しい?

そんな風に思えた人はどこへでも行けると思う。
人生なんて不安に思ってもなるようになるものだから。

むしろなるようにしかならない。

自分は子供の頃から移民だったと思う。

色んな場所へ行って、住んで、色んな人に会ってきたから私はここにいる。

 

両親と離れた事により客観的に自分を見つめ、自分がどう思ってたのか
どうしたいのか…
今一度、自分に問いただす事ができてくる。

後悔は全くしていない。

誰の言葉か忘れたけど、いいなと思った言葉があって

”だった一度きりの人生に、余計な不安を持ち出す事になんの意味もない”

 

 

残りの人生も自分に失礼のないようにちゃんとしっかり生きてあげたいと思う日々。

もし、未来はわからないけど次の家に住む時は
ここより冬が少し暖かい家がいい!!

(木造なので)

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました*

△▽△▽△▽△▽△
いみんずあーと  Koi

 

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Profile: Koi

栃木→岡山移住7年
絵描き/イラストレーター
旅 猫 食べ歩き

2011年3.11東日本大震災きっかけで考えが180°変わる
→2012年5年勤めた地元の仕事を辞め国内バックパッカー旅
→岡山へ単身移住→人間関係で挫折。
→金なしコネなし状態から未開の岡山で人生の再スタート
→フリーの絵描きとして活動中。

新しい自由のカタチをモットーに移住者目線で岡山のことやマインドを日々綴る。

【最近の活動】
2018年秋
西日本豪雨チャリTシャツデザイン販売
メルボルン20日間の旅 路上絵描きパフォーマンス
2019年1月
・FMくらしき「おまかせラジオ」出演
・ココナラ「似顔絵サービス」

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