【3.11 震災を経て】一人旅と移住のきっかけ

まいんど・つぶやき

 

こんにちは、いみんずあーとのKoiです。

震災後に関東→岡山(倉敷)へ地方移住
絵描きの旅と移住ブログ

 

 

旅は人生を変える?

おおげさに聞こえるかもしれませんが
世の中って経験した人にしかわからない事ばかり。

初めてバックパックを背負って外に出た時の高揚感。

特に生活も不自由なく

なんとなく働いて日々生きてる自分。

でも、一人旅を始めてから昔からの自分の価値観や考え方も変わってきた。

なぜそんな自分が一人旅をして遠くの地、岡山へ移住?

自分でもそんな未来、全く想像してなかった!

きっかけは突然だったりする…

 

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▪️3.11震災を経て。旅と移住のきっかけ

・大きなきっかけは3.11

 

2011年3月11日の東日本大震災

あの震災がなかったら今の私はここ(岡山)にいなかったです。

だから正直、ふと不思議に思う事がある。
今、現在も全て自分の行動次第でなるようになってるんだなって!

 

ー 3.11震災直後 ー

信号機も停電して辺りが真っ暗な夜道。
渋滞した道路を車で飛ばし、私は一目散に心配だった祖母のいる施設へ向かっていた。

街が真っ暗で怖くてまるで漫画の中のような世界。

介護施設に着いて更に真っ暗。
スタッフに渡された懐中電灯で部屋を照らすとおばあちゃんはベットで爆睡していた。

『ん?お前か?』
すっとぼけた声でぼんやり起きてきたのですごくホッとしたのを覚えてる。

それからやっとの思いで家に帰ると
今度はテレビや全ての電気がいつ復旧するかもわからない状況で。

真っ暗なリビングで、家族でひんやりしたおにぎりを食べてました。

夜中も数分ごとにガタガタと不気味な余震が続き、今までに味わった事のない恐怖感でほとんど眠れなかった。

あの時の地震はただの揺れではなく、不気味でおぼろげな余震が何日も何日もずっと続いていた。

翌日、テレビが復旧して画面に津波のとんでもない状況が映し出され、トラウマになるくらいの不安と恐怖に陥った。

この時は、もうこれ以上被害が拡大しないことを祈るしかできなかった。

『ああ、もう少しで死んじゃうのかな?』と何度か思った。
今までの人生で思った事もない死の覚悟。

しかし更に翌日、画面越しに私は目を疑う。
大きな爆発音ともくもくと立ち上がる煙…

福島第一原発の爆発。

(7年以上経った今も水素爆発か核爆発かはネット上で議論は続くけど)

地元は内陸の為、津波の心配はなかったけれど

パーン!

と音を立て、爆発を画面越しで見た瞬間に何かが自分の中でも弾け飛んだような気がした。

後から思うと目には見えない札束がパラパラ…と吹っ飛んでいたかのよう。

 

・興味も関心も何もなかった

 

それまで生きてきて一切、原発の事とか興味も一切なかった私が
すぐに何かわからないけど

『このままじゃやばい!』と感じました。

それは『直ちに健康被害が…』という事よりも

目には見えない圧力みたいなものが、ひしひしと押し寄せる感覚。

私は戦争を知らない世代だけど、率直にこれも一種の『戦争だ』って思った人はどれくらいいるんだろう?

知識もないしただ完全に感性とか直感です。

しかしその後も私の直感は静かに的中した。

家族や周りの人に必死こいて予測した通り、自分の住む地域まで爆発によって撒き散らされた放射性物質による汚染の野菜の出荷停止命令がありました。

はいSFの世界きた〜!

今現在、岡山でこの状況、考えられるかな?

とてもじゃないけど考えられない…

農家が今日まで畑で育てて出荷してた野菜を

日本政府からいきなり

『今日から危険区域なので出荷できません。出荷禁止!』

と告げられる事実。

これが本当にリアルタイムで
同じ日本国内であった出来事。現実だけど確実に忘れ去られていく、と思った。

そして自分自身も。

だから私は誰がどう言おうと、自分の考えが今後変わっていく事も含め
この時の気持ちをここに書き留めています。

知らない人の為にも

きっと想像し難いのじゃないかなって思う。
自分でも経験でもしなきゃ無理だった。

一時期、危険厨とか放射脳なんて小馬鹿にする言葉が流行ったけど何だろう。

主に関東に住む人たちが、それから大きく分裂したように思えた。

感じる人と感じない人

どっちが劣ってるとか、劣ってないとかではなく。

目にも見えないし、匂いも形もないもの。

だからこそ感じ取ったのかもしれないし。
因みに私が感じ取ったもの

 

これって前代未聞のSFの世界だ!』

 

で、当時の自分の感受性がその後の人生に大きく影響するわけで

よくわからないまま、何かに突き動かされて旅に出て…

『Koiは頭がいかれてる』と、言われ慣れてしていく。笑

当時はまだ被災地の人命救助が優先の状況だったので
支援物資を呼びかけて集めたり

避難中の人にSNSで食料や水が確保できる情報を提供したり
自分にできる事を必死に探して動いてました。

備えあればうれいなしだなー

 

・全ては直感と行動

 

当時のメディアは何かと隠蔽工作。

当時聞き飽きたこのセリフ「ただちに影響はありません。」

因みになぜ隠蔽??

当時は『これはおかしい!』とか思った事も言えない、言いづらい風潮を身にしみて感じました。

街にいてもどこにいても『ああこれが村八分ってやつか』って一人で感じてしまっていた。
正確に言うと、自然に感じ取れてしまう。

感じる人ほど感じる。感じない人ほど感じない。
この差は一体なんだろうって。

余計に自分の目で事実ってもんを確かめたくて

国会議事堂へ出向いて反原発デモの集会
はたまた、福島の子供を避難させる訴訟会なるものに積極的に参加してみたり…

 

7.29脱原発国会大包囲空撮〜人が溢れた瞬間映像

2012年7月29日キャンドル包囲デモを上空から撮影された動画。

 

国会前がリオデジャネイロ。

 

誰かの為とか、自分の為とかより
ただ、このままではいけないっていう未知のエネルギーだけで動いていた自分。

 

その後、国内を転々とする一人旅でも

活動熱心な人たちや新聞社のジャーナリストの方と出会う機会が多くなりました。普通に暮らしてたら知り合えない人たち。

今思い出しても当時の自分のエネルギーすごかった。。

地元に住んだままや、テレビやネット上だけでは知り得ない経験。

一人旅を通して色々経験して学んでいく激動の2012年でした。

 

・自分の思考と世間のギャップに悩んだ

 

とにかく自分の力でできる限り情報を集めた。

当時は自分の目で見て、行動して、調べれば調べるほど怖くなる一方。
現実世界が逆方向に感じる事も。

国会前デモの帰り道、ふと原宿を歩くといつもと変わらぬ光景。

若者の街、竹下通り、たくさんの人で賑わう街…

あれ、さっきまでの私がいた世界ってなんだったんだろう?

夢?同じ日本かな?と思うくらい大きなギャップにショックを受ける。

(見ざる聞かざる言わざる)

人々や世間が、一生懸命辛いことを忘れようとしている様にも見えた。私はまさにその狭間に苦しんでいた。

『周りに同じ思いの人がいない…』

それから誰といても強い孤独を感じていた。家族にノイローゼとも言われた。

しかし、自分の意思は一向に変わらなかった。

ある時、ふと思った。

今、自分の居場所ここじゃないかも。

周りとの意見や考えにズレが生じて葛藤に苦しむ日々。

今思うと確かに自分が考え過ぎて神経質になり過ぎていたのかもしれない。
リラックスしたくてもできなくて、水の中をもがくような辛い日々。

それから数ヶ月が過ぎ、あることを決意。

 

・移住を目的にした旅

 

今の仕事を辞めて

移住を視野としたあてもない旅がしたい。

そんな大きな決意とは裏腹に

初めて旅用のバックパックを買いに行った、あの日のわくわくした高揚感は今も忘れないです。

若かったのもあり。

当時はすでに旅が始まったような感覚だったから。

長くなりましたが私の半生を変えるような旅と移住のきっかけでした。

最後まで読んでいただきありがとうございました*

△▽△▽△▽△▽△
いみんずあーと   Koi

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